【イースター島】謎多き島に魅せられて


「絶海の孤島」

そう呼ばれる島に到着したのは辺りが闇に包まれた深夜でしたが、イースター島滞在中3日間お世話になったチリ人の方から、レイのプレゼントをいただき、ハワイに来たような(行った事はありませんが)、「太平洋に浮かぶ島」を実感しました。

 

 

イースター島は「ポリネシアトライアングル」という、ポリネシア諸島を構成する東の果てに位置しています。

(画像の引用はこちら

 

ポリネシア人は言語や文化、芸術など、様々な点で似ているところがあるようですが、他の島から離れているイースター島に、「なぜ」「どのように」人が移り住んだのか、未だ謎に包まれています。

(伝統を引き継いでいるショー)

 

顔の入れ墨なども、ポリネシアの繋がを感じることができます。

(イースター島の刺青の例)

(ニュージーランド先住民「マオリ」の方のあごにある刺青)

 

ちなみに、「タトゥー」の語源はポリネシア語のtatau(タタウ)からきているそうで、ポリネシアではかつて「タトゥー」は神聖なものとして扱われていたそうです。

 

 

 

さて、イースター島といえば、やはり「モアイ」でしょう。

お世話になった方の案内もあり、島を2周することができました。

 

到着時には感じませんでしたが、ここは本当にまわりに何もない「絶海の孤島」。

 

 

そんな島に900体あると言われているモアイ像。

 

 

これもまた「なぜ作られてたのか」「なぜ倒されたのか」という謎が人々を魅了しています。

 

 

モアイやイースター島について諸説ありますが、簡単に説明すると、

「信仰の中でこの世と死後の世界を繋ぐ存在とし、先祖が人々を気にかけ、守ってくれるものとして大切にされてきたモアイ。しかし、人口が増えるにつれ、森林の伐採から招いた土壌の悪化が原因で食料不足が原因となり、小さな島の中で争いが起こってしまいます。その際、神聖なモアイ像が攻撃の対象となり、殆どが倒されました。」

というのが現在の一般的な仮設です。

 

その他、「奴隷商人が島に来て、王族や知識人がいなくなり、残るものが少なくなった」や「実は白人の来島で滅びてしまった」などの説もあるようです。

(海岸で倒れたままのモアイ像)

 

 

現在アフーと呼ばれる土台に立っているモアイ像は約30体。これは全て近代になって復元されたものです。

(目のあるモアイ)

 

 

そのうち、15体のモアイ像がが並んでいる「アフ・トンガリキ」という場所があります。

 

 

ここに立つモアイ像は日本の企業や研究家の協力により復元されたモアイです。

 

日本の技術が、太平洋のこんな小さな島にも届いていることに感動します。

そしてこの功績から、世界で唯一公認のレプリカを立てることが許され、イースター島を感じさせる場所として宮崎県の日南市に、実寸代のモアイが7体立てられているというストーリーもあります。

(出典:サンメッセ日南ホームページより)

 

ここはモアイを造っていた噴火口跡の「ラノララク」です。

モアイが複数あるのが見えますか?

 

 

もう少し近づいてみましょう。

見えますか?

 

 

いました!埋まっているモアイ像がたくさん!!!

 

 

 

奥の方に削られた跡が見えます。

 

ここが造られている現場(4体ありますがわかるでしょうか)。

 

1体を作るのに2年かかったと言われているモアイ。作り方も正面から、横から、様々だったんですね。

神聖なものとは言え、人の手で2年をかけて作る・・・

相当な労力と気力がかかったことでしょう。そして時代を越えて残っている目の前の光景に言葉も見つかりません。

 

 

そして、作られたモアイは海岸を目指すことになりますが、運搬方法も様々な説があり、詳しいことは分かっていません。

 

中には運搬途中で壊れてしまった像もあるようで・・・

人々はこのモアイにどんな想いを込め、どんな想いをしていたのでしょう。

 

 

見ればみるほど謎に引き込まれるモアイ。より理解するためには、紹介する2箇所は必見です。

 

一つ目は博物館。

 

規模は小さく、もう少し頑張ってほしいというのが正直な感想ですが、貴重なものや写真が残っているので行って損はありません。

 

 

モアイは宇宙人が関わっている!?ロマンがありますね〜!

 

 

こちらはモアイの造り方の説明。

 

モアイの目。こちらも貴重なものです。

 

 

2つ目は「オロンゴ儀式村」です。

 

環境の変化や部落同士での争いなどがあり、人々がモアイから背を向ける時代が訪れます。

そしてモアイの変わりとなったのが、生身の人間で「鳥人」と呼ばれ、新たな信教が生まれました。

鳥人は各部落の代表(青年)がレースを行い、一位になった者が1年間「鳥人」として崇拝されることになります。

 

そのレースとは、「儀式村からスタート。そこから見える小さな島に泳いで行き、海鳥の卵を持ち帰ってくる。」というもの。

レースが行われる時期は海鳥が産卵する8月。南半球では「冬」にあたります。そしてその時期は風も強く、人を寄せ付けない荒波が小さな島を襲います。また、その海域にはサメもおり、生きて卵を持ち帰ることは困難なことでした。(儀式村から見える小島)

 

そして、この儀式村には大切なものがありました。

古い信仰と新しい信仰の橋渡しと考えられている特別なモアイ像が、この地に残されていました。

背中には鳥人が描かれており、このモアイにしかありません。また、屋内に保管されていたことからも、このモアイ像を大切に扱っていたことが分かります。

 

この特別なモアイ像には名前があります。

 

その名は「ホアハカナナイア」

「盗まれた友」という意味を持つ名前です。

 

 

なぜ「盗まれた友」かと言うと・・・

 

 

 

現在そのモアイ像はロンドンの大英博物館にあるからです。

イギリス人がこの島に来た時、なんとそのまま持って帰ってしまったのです。

 

こうしたエピソードも、近年始まった科学的研究により「根拠のある説」として明らかになってきたものです。

まだ科学的研究は始まったばかり。

まだまだ謎の多いイースター島、そしてモアイ像。これからどんな説が浮上してくるのか、非常に興味深いものです。

以上、「より理解できる2カ所」でした。

 

 

 

謎多き島も観光により発展し、町を歩いていると、ここが孤島だということを忘れてしまうほどです。

 

 町の主な場所はきれいに整備され、レストランやホテル、ミニスパーも多くあります。

 (郵便局)

島に住所はなく、この郵便局に荷物が届いているかを確認しに来るそうです。

 

物価は高いですが、不自由なく生活できるという印象を受けました。

 

小さな町には以前、大学が聞いた事がありましたが、現在島にあるのは高校までだそいうです。

3日間お世話になったチリ人の方に現地の学校を訪問できないかとお願いすると、丁度休みの時期に入ったばかり・・・。

しかし、幼稚園ならまだ休みに入っていないということ、訪問することができました。

 

島に4つあるという幼稚園の中でも、開校してまだ1年経ってない公立の幼稚園。

 

教員2人と、給食を作る方の3人体制。

 

 

設備も整っており快適な環境でした。

 

 

そして、どこでも子どもは元気!!!

遊びも、ケンカも、ご飯も一生懸命です!

 

 

 

 

園内には子どもたちが作った作品がいくつも展示されており、温かい雰囲気です。 

 

ジロジロ園内を見ていると、興味深いものを見つけました。

スペイン語とラパヌイ(先住民)語、さらに縦に長いチリの本土の方言が3つ書かれています。

現在この幼稚園でラパヌイ語を話せる子は3人ほどだとか…。

共通の言葉を持つことは便利ですが、こうしてどんどん言語が少なくなっていくことを実感します。そして私自身、沖縄の方言を殆ど知らないことを思い出させられます。

 

 

 

正直、航空券も高く、宿泊費、物価を考えると旅をしてきた中で一番出費が大きい場所でした。小さい島で、謎の石像を見ることに「こんなにお金をかけていいのか?」というのが当初の印象でしたが、この島を訪れないと感じられない雰囲気や気付きが多くありました。

 

 

 

謎に包まれるモアイ。

お土産用ではありながらも、大量生産ではなく一つひとつ手作りで今なお生産されています。

 (宿泊した宿のおじいさん)

 

 

人々に崇められ、争いの標的にされ… そして未だに作られるモアイ。

 

気づくとその神秘さに魅了され、

 

 

日が暮れるまで不思議な像を見ているのでした。


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