11月23日。人生初のアメリカに降り立った場所はジョン・F・ケネディ国際空港。そしてこの日は空港の名前にもなっているケネディが1963年に暗殺された日です。(※暗殺された日は現地の22日で23日は日本時間)
その事に気づいたのは数日経ってからのことでした。
また、その後の日程を計画し、予約をしようとしていたロサンゼルス行きのチケットが売り切れになっており、経由地を変えてLAへ向かうことになったのですが、その経由地はテキサス州「ダラス」。
ケネディが暗殺された地です。
何かの縁なのか、彼のことを考えずにはいられないアメリカの旅となりました。
テキサス州は地元愛が強く、グッズもや本もテキサス州の形をしているほど。
また、カウボーイハットやブーツは今でも愛され、日常で使用されています。
そんなテキサス州にある大都市、ダラス。
街には高層ビルが立ち並び、日中でも怪しげな人が歩いている地域です(夜に歩かなければ大丈夫なようですが)。
その中心部で事件は起こりました。
ケネディ大統領は、米ソ冷戦状態の緊迫が続く中、歴代大統領の中でも一番若い大統領として就任します。
1960年代のアメリアでは50%以上が25歳以下という若い世代となり、時代に新しい風が求められまました。
彼が行ったのは差別や環境問題をはじめとする、「平和」「平等」への変化です。人権に関する法律を整え、ボランティアなどの活動を支援する政策を行い、地球規模での「共存」を実現しようとしました。
核戦争が始まってしまうかもしれないと言われ、そうなれば今の地球は無いと言っても過言ではない状況の中で、ケネディは「武力」ではなく「会話」「ふれあい」での平和を実現させたのです。
しかし、悲劇は起こります。
事件当日、ケネディは大統領選挙再選に向けた選挙活動のためダラスに向かいました。
ダラスは保守的で反ケネディ派もおり、「危険」が予想された地域でした。
しかし彼は周りの反対を押し切り、「親しみやすい大統領」というイメージのため防弾カバーを外し、オープンカーでのパレードを決行します。
当時はまだ白黒テレビが主流で、「大統領をカラーで見る事は珍しい事」だったそうです。選挙のためのイメージ作りのためとはいっても、こうした心遣いはケネディの「平和」に対する気持ちが伝わってきます。
ダラス中心部を通り、犯人がいたとされる、教科書倉庫前に近づきます。(左の茶色い建物が教科書倉庫。犯人は6階右端の窓からその時を待っていました。)(ケネディの乗った車が実際に通った道。彼もこの景色を見ていたのでしょう…)
(その時犯人が見ていた視点。※写真は7階)
前の交差点を左に曲がるため、ケネディを載せた車は犯人の目の前で、ほぼ停まったかのように減速します。
下り坂になって速度が上がって行く前に、その時はやってきました。
(犯人が見ていた視点。※写真は7階)
(白い×の印が2発目の場所です)
(飛び散った脳を取りに行くジャックリーンとシークレットサービス)
ケネディは3発の銃弾のうち2発被弾し、ほぼ即死でした。
「平和」を求めたケネディ。彼の死は世界中のテレビ・ラジオ局の放送でまたたくまに知れ渡り、世界中が悲しみに浸ったといいます。
犯人が銃撃したと言われている教科書倉庫は、現在「シックスフロアミュージアム」といて残っています。
入場料を払うと、日本語の音声ガイドもあり、非常に分かりやすいです。
展示内容も、ケネディの功績からその時、未だに謎に包まれた未解決の問題提起やその後のまで、貴重な写真と映像で興味深いものばかりです。
実際の犯行現場の壁や床、天井や照明は恐ろしいほど、当時のまま残されています。(内部は写真不可のため、紹介することはできません)
上映されている映像の中でも、特に印象に残るシーンがありました。
(出典:dallynewsagency.com/2012/06/02/most-powerful-photographs-ever-taken-fzg/)
父の棺を前に、敬礼をする息子のJFKジュニアです。
直前まで母ジャックリーンと手を繋いでいましたが、必死にその手を振りほどき、一歩前へ出て敬礼をするのです。
形ではなく心のこもった敬礼。しかも小さな子が。
世界平和の大きなプレッシャーを抱える中、家族への愛も怠ることなく、心から「平等」「平和」を願ったケネディの魂が、JFKジュニアの行動に繋がったのでしょう。
ミュージアム7階には、関連映像が常時上映されており、ケネディとジャックリーンの写真も展示されています。
よく見ると、それぞれお互いの写真から構成されています。
そして、犯人が銃撃した真上、7階端。
ケネディが亡くなった時間とほぼ同時刻、何かを表しているかのように、建物の端だけ強い日差しが差し込んでいました。
犯人とされているオズワルドは事件の2日後、ダラスのマフィア、ジャック・ルビーによって撃たれます。ジャック・ルビーもまた、事件の再調査が行われる直前に肺がんで亡くなりますが、この死もまた謎に包まれています。
いくつもの説があり、「誰が」「なぜ」という疑問が未だに解決しない謎に包まれた「ジョン・F・ケネディ暗殺事件」。
当時を知る人々の記憶に鮮明に残っている事件です。
先日、ペルーで電車に乗っている際、向かい側に座ったフランス人の老夫婦と旅の話しをしていると、「ダラス」「ケネディ」の話しになりました。
そしてフランス人のおじいさんは言いました・・・
「彼の死は世界中に影響したよ・・・」
目の前にいるフランス人の老夫婦から、まさかその言葉が出てくるとは思ってもいませんでした。
彼の名は、「建物」や「通り」などの場所の名前として、世界中で使用されているそうです。
ジョン・F・ケネディ
まさしく彼は、今なお人々の心に生き続ける「世界平和のシンボル」です。