マザーテレサが創設した【死を待つ人の家】でボランティア活動 繋がっている命、そして「大きな愛」 


【2016年10月21日】

初めてのインドはコルカタから入りました。

 

コルカタの空港ではこの方が迎えてくれます。

img_3272マザー・テレサです。

 

 

 

ここコルカタはその昔、イギリス支配の中心都市として栄えました。今でも洋風な建物が残っており、その名残を見ることができます。

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しかしインド独立後、その影響起こった紛争や、バングラディッシュやパキスタン、インド農村部からの難民が流れ込み、人口が爆発的に増え、路上生活者が増えました。

一時は豊かだった街も、過密な人口密度(今でもデリーより深刻)と年間を通して気温が30を超すと言われている過酷な生活環境の街へと変わっていきました。

 

 

 

街を歩くと、車のクラクションと砂埃、どこから湧き出てくるのか分からない人々で騒々しく、ゴミや牛の糞が散乱しており、衛生的にも驚くほどの状況。

この状況は写真や映像では伝えることができません。インドに行ったことのある人にしか感じられない独特の雰囲気があります。

 

 

img_3273トラムに乗ってみました。どちらかと言うとバスの方が一般的なので、トラムは落ち着いて乗る事ができました。

img_3274悲惨な現状にはカメラを向けることもできませんでしたが、トラムからの映像でなんとなくコルカタの雰囲気をわかってもらえたらと思います。

 

 

騒がしい大通りに面していながら、路地に一歩足を踏み入れると静けさのある場所に、マザーハウスがあります。

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ここはマザー・テレサが1948年〜1997年まで修道女としての活動を行った場所です。実際にここで生活をしており、この場所で亡くなりました。

 

中ではマザー・テレサが眠っています。

img_0181 (マザー・テレサの活動に感銘を受け、世界中から人が集まります)

ここでは毎日ミサが開かれ、当時のままの生活が営まれています。

 

修道女たちの生活はいたってシンプル。決して贅沢なものなどはありません。

マザーが使用していた部屋も、ベッドとテーブルしかないような小さな部屋でした。

 

 

そんな生活環境の中、修道女たちは明日にも死ぬかもしれない人々や、ハンディキャップを負った子どもたちや大人の方々の世話をしながら生きています。

 

そして彼女たちの活動を支援するため、一般の方から医療関係者まで、毎日様々な人がボランティアとして世界中から足を運んでいます。

 

 

 

旅の途中に、マザー・テレサの故郷マケドニアにある生家を訪問して関心を持ったこともあり、今回私もそのボランティアに参加することにしました。

 

 

マケドニアでの記事はこちら

「マザー・テレサが大切にしたこととは 故郷マケドニアで感じる人間の弱さと希望」

 

 

※ボランティアはその日に行っても行えますが、月・水・金の「登録日」にボランティアとしての登録と諸注意を受けることが望まれています。

また、木曜がボランティアも休みとなりますので計画されている方はお気を付けください(2016年10月現在)。

ちなみに私は木曜休みに気づかず、その後の日程を削り、2日延泊の末に1日のみの参加となりました。

 

 

 

ボランティアは午前・午後と別れており、人数が少なければ移動することも可能です。

私は午前にハンディキャップを持った子どもたちの施設、午後に「死を待つ人の家」での活動となりました。

 

 

 

早朝、マザーハウスにてその日参加するボランティアのメンバーが集合します。この日はざっと数えても40人〜50人ほどいました。

パン・バナナ・チャイ(ミルクティー)をいただき、修道女の話を聞き、歌を歌い、この日が最終日のボランティアの方がを祝福し、それぞれで各施設へと向かいます。

img_3339 (この日の午前中、同じ施設で活動したメンバー。一緒に施設へ向かいます。)

img_3340 (バスとオートリキシャーを乗り継ぎ、到着です。ちなみにこの女性、3ヶ月ほどボランティアを行う予定だそうです。)

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ここでまず行ったのは洗濯から。

一言で洗濯と言っても、かなりの量を手洗い。

 

この日参加したボランティアとスタッフ、7、8人ほどで作業しても1時間以上かかります。ボランティアがいなければ、この作業も修道女やスタッフのみで行わなければいけないと思うと、本当に大変な日常です。

 

その後は普段なかなか手の届かない箇所の掃除や食事の介助なども行います。

しかし、それはすべて自分でやるべき事を探します

ボランティアといっても、強制的にやることはありません。参加したメンバーでも行動力は様々・・・。

 

何をしていいのか分からず、最終的に裏でケータイをいじっている人もいました。

この日、私のできることは終止、洗濯や掃除の雑務でした。直接子どもたちへの支援はできず、むしろ子どもたちと顔を会わすことさえあまりありませんでした。

 

しかし、こうした雑務を行うからこそ、直接子どもたちに愛情を届けることができます。1日のボランティアは「流れ」がわからないので、正直言って迷惑をかけることさえあるでしょう。

それでもこうしてたくさんのボランティアを受け入れながら、多くの方を支援しています。

 

 

 

しばらくすると、マザー・テレサのある言葉を思い出しました。

 

「あなた方は何かをやったとは思わないでください。していただいたのはあなたがたなのです。

 

 

掃除や洗濯、食事、トイレ。

何不自由なく行うことができる人は恵まれていると強く感じます。

当たり前に出来ることは、当たり前ではなく、とても恵まれた環境で過ごすことができているだけで、その環境のありがたさを感じなければいけないと思いました。

 

 

単純な話かもしれませんが、私が彼らからいただいた、強い感覚です。

 

 

 

こんなシーンも見かけました。

 

とある子が、なかなか移動せず、その場に座り込んでいました。

すると、先ほどまで一緒にいた子がそれに気付き、一生懸命手を引っ張って起き上がらせようとしています。

それも、強引にではなく、そっと話しかけるように。

 

お互い言葉で話すことができないので、意思疎通は難しいかと思いましたが、「気持ち」は通じるものです。座っていた子は立ち上がりました。

 

ちょっとした行動の中に「相手の気持ちを考える」ことが加わえることが、こんなに素敵なことであり、温かい気持ちにさせるなんて…。

「そんな話よくあるよね」と思うかもしれませんが、強い印象が残るということは、それほど「日常ではない」ということだと思いました。

 

 

 

 

この施設には、20年以上ボランティアを続けている日本人の方がいました。

この日もテキパキと掃除をしたり、周りの人に指示を出したりしています。

 

 

彼女はマザー・テレサに「本当にここで続けるなら贅沢なくらしをしてはいけません」と何度も言われたそう。

話をしていると、「あ!ちょっとこれ持ってて!」と、古い袋の中からビニール袋を取り出しました。

 

 

何をするのかと思うと、ボランティアの人にあげるちょっとしたクッキーをいくつかビニール袋に入れました。

 

 

「今晩のご飯にするの」

 

 

 

その言葉も衝撃でした。

 

 

「そこまでしなくても?」と思いましたが、それさえもできない人々がコルカタにはたくさんいます。

 

このような生活を20年以上続けている彼女。

恵まれた環境である日本でこのようなことをする必要はないと思いますが、日常を日常として過ごせることへの「感謝」はいつでも持たなければいけない感覚だと感じました。

 

 

 

 

 

 

午前の活動だけで考えさせられるものが多く、あまりにも無力な自分に、ただただ情けなさを感じ、時間だけが過ぎていきました。

 

 

 

 

午後の活動は「死を待つ人の家」と呼ばれる施設です。

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ここは、路上で横たわっている人(明日にも死んでしまうかもしれない人)が運ばれてくる場所です。

間違ってはいけないのが、この施設は「医療行為をする施設ではない」ということです(薬を投与することはありました)。

 

 

・マザー・テレサ自身は晩年、最新の医療行為受けていた。

・多額の預金があり、それでたくさんの人を救えることができた。

 

などと、マザー・テレサを非難する人も出ています。

 

 

 

しかし、「人々を助ける」ことがマザー・テレサの目的ではなく、「人々に愛を送る」ことが目的でした。

 

誰からも見向きもされず、死に行く路上生活者の人々を、せめて最後は人間らしく「愛」を受けてほしいと願うマザー・テレサ(イエス)の教えを実行しているのです。

 

 

 

「愛」の反対は「無関心」

「私たちはこの世で大きなことはできません。大きな愛で小さなことをするだけです。」

 

 

マザー・テレサの言葉が身に染み込みます。

 

 

 

この施設では、運ばれてくる半数の方が数日のうちに亡くなるということもあったそうです(ちなみに、私が行った日のホワイトボードには「死者数0」と書かれていました)。

 

中に入ると、ベッドとも言えないマットの様なものがたくさん並べられていました。60ほどはあったでしょうか。敷地に入りきらないマットが通路にもはみ出しています。

私がこの施設へ到着した時、ここで生活している方々は隣の部屋にいました(生活は男女別になっています)。正直な気持ちとしては、異様な空気感でした。ゴクリと唾を飲み込んだのを覚えています。

 

上下青い服を来た方々がギュウギュウに椅子、ベンチ、地べたに座り込んでいます。

 

何をしているかと思うと、薬の配給を待っているのだとか。

 

 

その間にできることは、ここでも洗濯物を干すこと。彼らの衣類からシーツまで。ちゃんと洗われていないものもあり、それらはやり直しです。

 

屋上から戻ると、薬の配給はまだでした。

 

 

仲良くなった韓国人が、「マッサージをしたり、話しかけるといいよ!」とアドバイスをくれます。

 

もちろん、誰に、どのようになんてわかりませんが、その言葉で彼らの顔をじっくりと見ることができました。

 

よく見ると、彼らの顔は明るい顔をした人も多くいます。

 

 

ボランティアに来た人たちを見ながら、手を合わせて「ありがとう」とでも言っているように笑顔を絶やさないおじいいちゃん。

「こっちきてよ」とボランティアの人を呼びつけて、みんなからちょっかい出されるお調子者の若い人。

ボランティアで参加しているかのように、テキパキと行動する元気のいいおじさん。

 

中にはマッサージを求める人や、自分の病気や怪我について一生懸命話す方も。

 

 

彼らが、誰からも見向きもされずに路上にいたら、このような明るい表情をすることはなかっただろうと思うと、私も積極的に声をかけたり、肩や腕を揉んであげたりと、いつの間にかコミュニケーションを取っていました。

 

繰り返しますが、

「私たちはこの世で大きなことはできません。大きな愛で小さなことをするだけです。」

こんなにも素朴で、偉大な言葉があるでしょうか。

 

 

しばらくすると、シスターが薬を持ってやってきました。長くボランティアをしている男性も慣れた手つきで一人一人違う薬を渡していきます。

私も薬を手に取り、言われた方に薬と水を持っていきます。

みんな「お、来た来た!」とワクワクしている様子がちょっと微笑ましかったです。

 

その後は食事。簡単なメニューではありますが、温かいご飯にみなさん幸せそう。

 

お調子者の若者は、私に「スプーンをくれ」と呼びかけます。うまく食べることが出来ないのかと思い、スプーンを準備すると一人のボランティアの方が「スプーンはいらないよ」と声をかけてくれました。

「自分でできることはさせる」

ということも、この施設で大切にさせていることの一つでした。

 

もちろん介助が必要な方もいるので、ボランティアの方々で手分けしていきます。私が担当した方はなかなか口を開けてくれず、ご飯を手で払いのけてしまします。

その後シスターを含め数人で協力しますが、結果的に食べてくれませんでした。

 

 

 

食事の後はみんなマットに戻り、横になります。自力で行けない人も多いので手伝いますが、ここでも、できるだけ「自分の力で行く」ことが大切になります。体をを引きずりながら、一生懸命手で移動する人。不自由な足でも、一歩ずつゆっくりと進む人。彼らを応援する気持ちで「愛」を込めながら移動していきます。

 

 

ボランティアの時間も残りわずか。

 

一度一周したフロアをもう一度回ります。先ほど腕の怪我を説明し、マッサージを気持ち良さそうに受けていた方が、もう一度話しかけてくれました。

隣に座り、お互い通じない言葉で会話をします。

それでもお互い笑顔でいられます。羨ましそうにお調子者も若者も声をかけてくれます。

 

彼らの表情はにこやかでした。

 

 

マザー・テレサ亡き今もこの施設では、「愛」が受け継がれ、小さなことかもしれませんが、誰もが幸せな空間を共有しています。

 

 

 

 

 

 

 

別れの時、横になっている方々に手を振った時、薄暗いフロアの向こう側から、いくつもの手が挙ったのをはっきりと覚えています。

 

 

 

 

大きな愛を受け取ったのは私の方でした。

 

 

 

 

大きいことはできなくてもいい。小さなことでいいから、愛情を持ってできることって身の回りにいくつもあるはず(人に対してだけでなく)。

 

 

 

 

 

 

10月の肌寒い帰り道。騒がしいはずのコルカタの街が静かに感じました。

 

 

 

静けさの中に挙る手の残像が、私を暖めていました。

 

 

 

 

 

 


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