日本でもテレビで紹介されるほど人気の祭り、サン・フェルミン。
実はこの祭り、牛に追われることだけではなく、元々は2つの行事を重ねたことが起源とされています。1つはパンプローナの守護聖人、フェルミンを称える宗教儀式、もう1つはこの地で闘牛が始まったとされる商業見本市の2つです。
お祭り好きなスペイン人!現在では、闘牛や4mほどある大きな人形が行進するパレードがあったり、バスク地方の伝統的なスポーツ大会が開催されたり、花火大会、音楽イベントがあるなど、様々な行事で盛り上がりをみせています。
有名な牛追いは「エンシエロ」と言い、スペイン各地で行われていますが、パンプローナが有名です。7月6日〜14日の祭り期間は世界中から観光客が小さな街に押し寄せます。
(開会式後の市庁舎付近の様子)
(牛追いのコースにもなる通りの様子) 動画はこちら
明け方まで騒いだ人たち。公園やベンチで仮眠をとるのはもはや風物。
ここパンプローナの牛追いはアメリカの小説家、ヘミングウェイの作品『日はまた昇る』や『午後の死』で有名になり、アメリカ人観光客が多くなったとか。(旧市街地付近から新市街地を眺める)
祭り以外の日はのどかなパンプローナ。祭りの時期も新市街地は静かです。
写真を見てもわかるように、この祭りでは白い服装に赤いスカーフと腰紐をつけることが正装とされており、どこを見てもみな同じ格好をしています。
(昼から朝方まで客が絶えないBarがたくさんあります)
(陽が落ちるのは22時過ぎ。それでも人、人、人。この時期ばかりは子どもも夜更かしOK?)
(小さな子がいる家族の姿も少なくありません。パンプローナ市民で参加しない人はいないのでしょう)
(スカーフと腰紐だけでなく、ポーチや靴、サングラスも赤!伝統のスタイルを守りつつお洒落にきめています)
(赤のスカーフを首に巻くのは、斬首刑となったフェルミンの受難を思い出すためとされているようです)
実際に、エンシエロ(牛追い)に行ってみました!
※このような祭りは海外保険が効かないこと、事前学習の後、初めての参加では恐ろしいことを踏まえ、上からの見学です。
明け方6時前。すでにコース周辺は人で埋まっています。(エンシエロ開始は8時)
ベランダを貸し出すというビジネスもあります。場所にもよると思いますが、一人1万円くらいだったと思います。祭り期間中のホテル代は通常の2〜5倍ほどするので、牛が目の前を通り過ぎる10秒ほどのために払うのは考えちゃいますね。
ちなみに、牛に追われるのは参加自由です。7時半までにコースに入れば参加することができます。
また、参加するためには心得があり、ルールもあります。
パンプローナ市より
「牛追いは、市民の若者がその生命を危険にさらすことにより、勇気を証明することである。人間社会は、以前もそしてこれからもいつの時代でもその構成員の保護を規定している。牛追いはパンプローナでは儀礼である。儀礼として牛追いには規則がある。走ることを希望する者はそれを遵守してもらいたい。」(Wikipedia)
また、主なルールには
・祭りに相応しい格好をすること
・18歳以上であること
などがあります。
7時半。この日は今年最初のエンシエロ。すごい人の数!
エンシエロの開始前、参加者は壁に設置された聖フェルミンの像に向かって、讃美歌を3度、それぞれカスティーリャ語とバスク語(地方の言葉)で歌います。
(聖フェルミン像)
その頃… 闘牛場では伝統の踊りや、牛の選手紹介行われています。
闘牛場で盛り上がる人々。さすが、情熱の国、スペイン!
8時。緊張感漂う中、ロケット花火が打ち上げられ、いよいよ牛の登場です!!!
牛が目の前を通り過ぎるのは一瞬のこと!!! 800mほどのコースを4分弱で駆け抜けます。
闘牛場ではその様子を中継し、到着を待ちます。
エンシエロでは、牛の前を牛に触れずに走ることが優秀な走りとされているようです。
そして出発から4分弱、牛たちと大勢の人間は闘牛場へと入っていきます。
牛たちはそのまま闘牛場の小屋に入ります。
その後会場内やテレビではその日の「危険なシーン」やベテランの解説などが放送されます。
これで終わりではありません。会場に押し寄せたたくさんの観衆が見たいもの。
それは、
「素人闘牛」
通常の闘牛より一回り小さく、角が削られており刺さることのない牛と素人さんの戦いです。
素人闘牛参加の条件はは、エンシエロで走る牛より先に闘牛場に入ること。
素人といっても、中には華麗なよけ方をして会場を盛り上げる人もいます。(右に行くと見せかけ体を回転させて左に逃げる男性。この日の人気者でした。)
素人闘牛の動画はこちら
牛に追われる人。
柵によじ上る人。
牛にはね飛ばされる人など様々。(この日は飛ばされて気絶する人が2人いました…)
素人闘牛の参加者はアメリカ人とオーストラリア人が多いとか。
逃げ惑う中、人に説教をしているシーンを目撃しました。おそらくですが、逃げ方やルールを守らない、ノリで参加している酔っぱらいに祭りを侮辱されていることに怒っていたのだと思います。
この、見るからに危険な祭りは負傷者が絶えません。エンシエロでは、1910年から現在まで、15人の方が亡くなっています。今年も死亡者が出たと聞いています。(2016年の公式ホームページでもこうした写真が公開されています)
※軽い気持ちでの参加は命の危険性はもちろん、祭りに対しての敬意さえ見失ってしまいます。今後参加したい方はそのことをしっかりと心得ておきましょう。
そしてそして、午後(18時半)に開催される闘牛。
朝、闘牛場まで移動した牛たちはその日で殺されてしまいます。(闘牛の牛は食用となり、地域によっては闘牛専門のレストランもあるようです)
目の前で繰り広げられる生死をかけた、まさに「死闘」を見るとその技術の凄さに驚かされます。
(お互い命をかけた闘い。思わず雄叫びをあげる闘牛士。)
見ている自分も、言葉では言い表せないほどの興奮状態になります。
同時に、実際に目の前で命が亡くなっていくのを見ると、ショックが大きいものです。
(牛に待っているのは「死」のみ。生命力が強くなかなか倒れない牛には、最後にとどめを刺す方法もあります。)
強烈に「美しさ(技術やストーリーのある魅せ方)」と「残酷さ」を目の当たりにし、興奮状態が治まりません。時間が経ってもそのシーンが頭を巡っています。
この状態を、ヘミングウェイの『午後の死』から引用させてもらいたいと思います…
「完全な闘牛試合は、見物人を我を忘れるほどの世界へと誘い、自分を不死のものに感じさせる。 宗教的法悦に劣らず深い陶酔を与えるのだ。
そして、この恍惚が過ぎ去ると、人は大きな感動のあとならではの感じえぬ、あの虚無感、自分が変っ たという感覚、そして悲しみを味わう。」(『午後の死』より)
闘牛に関しては、賛否両論あります。
実は、サンフェルミンの開催中に動物愛護の観点からデモを起こす団体もいます。また、バルセロナを代表とするカタルーニャ地方では2011年から闘牛を禁止しました。
冷静になりよく考えてみると、私たちは日頃牛肉を食べています(他の家畜も同様)。しかし、その家畜を殺す場面になかなか立ち会いません。立ち会った時、命というものがいかなるものか、強烈に、体全体にぶつかってきます。
「肉を食べる」=「命を落とす家畜がいる」
肉を食べないで今後生きて行くことは考えにくいでしょう。しかし、こうして命が無くなってゆく姿を見ると、どうしたものかと考えてしまいます。
食、命、
当たり前にあるものですが、それらは当たり前ではなく、必死に繋がっているものだと実感させられました。
一人の闘牛士は、死闘の末に倒れた闘牛に対し敬意を払い、最後のときを見守っていました。
盛り上がりをみせるサンフェルミンのお祭りですが、観光客はよそ者として、こうした伝統の中にある敬意や美しさを感じなければいけないでしょう。
そうした事を考えさせれられる事がもう一つありました。
たばこ・ビール缶・ペットボトル・食べかす・瓶 など…
写真は闘牛場ですが、街にはもっとゴミが散乱しています。割れた瓶はかなり危険っですが、そこら中に落ちています。(※サンダルでの観光はかなり危険です)
盛り上がる横で大規模な清掃活動が毎日行われています。
また、行ったからこそわかることですが、朝方はとてつもない異臭です。地面もベタベタしています。
お酒や食べかすの匂いはもちろんですが、いたるところで用を足している人がいます(※男性だけではありません)。もちろんパンプローナ市は公衆トイレを増やすなどの臨時対応はしていますが、泥酔状態の人には効果が少ないのが現状です。
牛追いや闘牛などは伝統かもしれませんが、街を汚すことは伝統ではないはずです。カップを投げつけ頭に当たった人、騒いでこぼれた赤ワインが隣のおばさんの白い衣装にかかった瞬間なども見られました。
盛り上がる伝統の祭りでも、よそ者による被害も見えないところでたくさんあるのではないでしょうか。
もちろんこれは一部の話であり(ゴミに関しては深刻?)、祭りの良さがから感銘を受けることも多々あります。
陰ながら祭りを支える方々がいて、
子どもにとっては楽しみながら、そして伝統と命を感じながら、
サンフェルミンという祭りは400年もの間、世代を超え繋がってきたものなのでしょう。
世界には興味深い祭りがたくさんありますね!みなさんも是非、サンフェルミンに参加して、伝統と命の深さを感じてみませんか?