インドのコルカタで貧しい人々への救済活動を行い、ノーベル平和賞を受賞したことで有名なマザー・テレサ。
彼女の故郷はマケドニアの首都、スコピエという街です。
スコピエの街には彼女の功績を讃え、記念館があります。
18歳までスコピエに住んでいた彼女は、この地では珍しいカトリックの家庭で育ちました。
バルカン半島の様々な紛争や民族・宗教問題の中で、9歳の時にアルバニアの独立活動についていた父を亡くします。
人間の憎しみが父を亡くした。彼女は深い心の傷を負うことになります。
そしてある祈りの言葉に出会います。
主よ
あなたの平和をもたらす道具として 私をお使いください
憎しみのあるところには 愛を
不当な扱いのあるところには ゆるしを
分裂のあるところには 一致を
(この言葉は後のノーベル賞授賞式でも発言しています)
この言葉を大切にしていた彼女は18歳で修道女としてインドに行く決意をします。
彼女の活動は様々な批判も受けました。最初の活動の拠点はヒンドゥー寺院の一室。「カトリックがヒンドゥーを乗っ取ろうとしている」と言われたり、活動が広がってくると、「もっと大掛かりなものの方が良いのでは?」と言われることもありました。
彼女の死後、研究により「耐えることで救われると説き、十分な医療を受けさせなかった」「預金が数十億あった」などということが発表されることもありました。
しかし彼女はそんな批判には動じず、宗教や民族を超えた活動をし続けました。
また、彼女はコルカタで瀕死の患者を病院に運んだ際、「このような人はコルカタに数百人いる」と言われ受け入れられないという経験をしたそうです。
彼女自身も、全ての人を医療で助けるには限界があると感じていたのでしょう。そこで彼女が行った活動は、死を待つ人に「愛」を与えることでした。
マザー・テレサの言葉です
誰からも見捨てられた人々が せめて最後は大切にされ
愛されていると感じながら亡くなってほしい
彼らがそれまで味わえなかった愛を 最上の形で与えたい
勘違いしてはいけないのは、人々を「助ける」のではなく「愛」を与える活動をしたということ。1人ひとり向き合うために、大掛かりなことはしたくなかったと話しています。
また、そのことについての葛藤もあり、「あまりに無力で空っぽで、そしてあまりに小さな私」と言葉を残します。そして、ノーベル賞の受賞が決まった時には「私には受ける価値がない」とまで考えたそうです。
博物館には彼女が身にまとっていたサリーや関係資料が展示されていました。
そんな彼女が生まれた街を歩いていると、こんな風景が見られました。
一見きれいに見える街並。
しかし…
落書きやいたずらにしても、品がないなーと思っていると…
市民による政府へのデモが起こっていました。
ペンキの汚れは、ペンキの入ったボールを投げた跡で、この日に着いたものでした。
どうやら政府が建てる建物のために集められたお金が、役人のポケットに入っているとのこと。政府にはギャングが多数いるという噂も聞きました。
また、「スコピエ2014」という都市計画もあったようですが、街のあちこちで工事中のままの現場が見られます。
テレビ局や機動隊の姿も。
中には取り押さえられ、連れて行かれる人も。
学生も参加したかったようですが、政府のこのあたりの規制は厳しく、見つかれば今後の仕事にも影響が出るとのことで参加できなかたようです。
発煙筒まで炊く騒ぎに。
議会庁舎もこの有様。
また、マケドニアはギリシャとの問題(ギリシャは「マケドニア」という名前を遣遣わないでほしいと主張 参考資料)や国内にもいくつかの宗教や民族が住んでおり、互いに受け入れていない面もあるようです。
皮肉にも、民族や宗教の違いで憎み合う姿を目の当たりにし、平和を願うマザー・テレサの故郷において、このような出来事が未だに起こっているのはとても悲しくなりました。
様々な歴史が残るバルカン半島において、領土や民族・宗教の問題、そこから起こる多くの問題は尽きないのでしょうか。
「欲」や「名誉」に溺れる人間の弱さを垣間見たような気がします。
マケドニア滞在最終日、オールドマーケットを歩いていました。
ここでもたくさん声をかけられます。
そして仲良くなったおじさん。
日本にはムスリムはいるのか?など、英語はできないと言いながら一生懸命に聞いていました。
そして、「そのカメラでおれを撮ってくれ!日本のテクノロジーは1番だからな!」と。
嬉しそうに「後で送ってくれ!Facebookやってる?」などとテンションの高いおじさん。おじさん、Facebookやってるんですね!笑
異国の民族で、宗教の違う人と交流し、写真まで撮ってもらっているお父さん。
その姿を羨ましそうに見ていた息子さんがいました。
君も撮ってあげるよ!と言うと、嬉し恥ずかし、緊張していました。
その子のTシャツに書かれていた文字は「愛」
マザー・テレサが願った、「愛のある平和な世の中への希望」が少し見えたような気がしました。