「強く生きる」市民の想い ワルシャワ蜂起(記念館)


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第2次世界大戦末期の1944年8月、ドイツ軍に占領されたワルシャワでポーランド国内軍とワルシャワ市民は、その後63日間続く蜂起を開始しました。

蜂起のシンボルである「P」と「W」で書かれたマークは、侵略者に対する抵抗と自由のための戦いを意味しているそうです。

市民はワルシャワの将来の自由を求めて、自発的に蜂起に参加したと言われています。街にバリケードを作ったり、ラジオ局や新聞を出版し、市民にそして世界にワルシャワの状況を広げたりました。また、ワルシャワ周辺では子ども達に戦争の様子を感じさせないよう、子ども向けの本も出版し子ども達を目の前の悲劇から守ろうともしました。

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しかし、すべての子ども達が守られたわけではありませんでした。子ども達の中には、ワルシャワのために働きたいと戦場郵便などの仕事を行いました。不安と恐怖の中、兵士や蜂起参加者にとって、手紙を送り、受け取ることは強い心の支えとなりました。

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上の写真は、ポーランド国内軍のある兵士が、8歳の娘から父への祈りの言葉を書いたカードを受け取り、財布に入れて左胸のポケットに入れていたものです。その兵士は被弾したましたが、弾はそのカードのところで止まり、生き残りました。(カードの左下に被弾の後が見られます)

宗教もまた、人々の心の支えでした。ミサだけでなく、葬儀や結婚式も行い、日常をつくることで目の前の悲劇に耐えることができました。

 

市民の国内軍への支援は他にもあります。

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これは乳母車に乗る赤ちゃんに持たせたおもちゃです。中をくり抜いて、安全に通信文を送り届けました。

ドイツ軍は戦争犯罪にも値する、病院への攻撃も行いました。そこでは蜂起に参加した医者や看護にあたった女性もいましたが、彼らは危険だと知っていても、市民や国内軍の兵士を最後まで助けようとしました。

 

そんなワルシャワ市民の想いも叶わず、国内軍はドイツ軍に降伏しました。街の83%を瓦礫にされ、約2ヶ月に及ぶ蜂起は終わります。

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市民は捕虜となり収容所へ送られますが、隠れるようにワルシャワの街に残った人々がいました。

ユダヤ人です。

彼らはドイツ兵に見つかると殺されることを知っていました。瓦礫の合間や地下に逃げ込み、生活をしていたそうです。(映画『戦場のピアニスト』はこの話がモデルとなっています)

戦後、蜂起参加者はテロリスト扱いとなり、市民たちは真実を打ち明けることが出来ずにいました。1970年代から1980年代の境目になってようやく、こうした真実が伝えられるようになったのです。

この蜂起で、市民の犠牲者は18万人か〜25万人と推定され、国内軍は1万6000人、ドイツ軍は2000名の戦死者を出したと言われています。

 

そして、市民のワルシャワへの思いは戦後も続きました。

市民の中には、戦前や戦時中危険を承知で、市街の街並を細かく写真やスケッチにして残していた建築学を学ぶ学生たちがいました。蜂起で亡くなっていった市民への想いや愛国心を胸に、残った資料を基にして市街地は市民の手によって「レンガの割れ目一つに至るまで」再現したと言われています。

そうした市民の「想い」があり、現在のワルシャワの歴史地区が残っています。

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「街の復興にかける市民の想い」を評価され、1980年世界遺産に登録されました。

 

ワルシャワ蜂起博物館には、こうした当時の様子を学べるよう、数多くの展示や映像、音声などで紹介しています。

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日本語音声ガイドもありますIMG_1945

大きなスクリーンでの映像

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投下支援を行った機体

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犠牲者の名前が彫られた礎

 

館内も市民の想いが伝わってきます。子ども向けに作られた部屋です。IMG_1928 IMG_1929

小学生やもっと小さい子ども達にも、この事実に触れることができるように作られた部屋です。「学ぶ」ことではなく「触れる」ことを目的としています。一枚目奥に見えるのはレンガの模型でバリケードを体験することができます。子ども達の感覚では「遊びながら」ですが、確実に体験することができるのです。

2枚目は塗り絵です。蜂起に関連する絵が何枚もあり、意味はわからなくても視覚的に「蜂起について」触れることができます。

1枚目の写真のように、記念館を訪れる学生は多くいました。館内には見るに堪え難い写真や映像もたくさんあります。しかしそれは紛れもなく事実なのです。

事実を受け入れ、二度と同じことが起こらないように、またワルシャワの平和をこれからも守っていくようにという想いが強く感じられました。

 

 

博物館とは別に、街中にもワルシャワ蜂起やナチスドイツ侵略の年を表したモニュメントがあります。

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悲惨な歴史をつくってしまったからこそ、繰り返さない努力が必要です。戦争は市民レベルではなく、政府レベルの問題が非常に大きいです。しかし、ワルシャワでは市民が立ち上がったからこそ、平和を保ち、それを未来へと継承していくことができているのでしょう。

 

生かされているのではなく、自分たちの力で強く生きている。

 

そう感じたワルシャワの街でした。

 


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